「来た球はとりあえず打つ」

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明治大学教授、齋藤孝

《習慣は最強の武器になる》

私は明治大学に勤めているが、学生の就職も心配になるし、社会人としてうまくやっていけるかどうかも気にかかる。大学は学生に学問的知識を与えればいいというものではなく、全人格的な教育も目標としている。

明治大学は「前へ」というのが校風なので、とりあえず一歩前に出るようにする。率先力というのは、最初に手を挙げる、迷ったら手を挙げることで養われていく。他の人が躊躇しているとき、「やってみます」と言えば、周囲は「こいつは見どころがある」と評価する。企業は、やる気がある人を求めている。

どうせ誰かがやらなければならないとしたら、自分がやってしまう。いつか順番が回ってくるものなら、率先してやる。いちばん先にやった結果、自分で予定・日程を好きに選ぶことができた、ということもある。

いまは一歩前に出る人が少ない。そんな中で絶えず人より一歩前へと心がけると、「彼はやる気があるね」と見られる。言われてからやるばかりでは「あいつは、こっちが言わなければ動かない奴」と芳しくない評判を立てられてしまう。私の仕事の基本方針は、忙しいからすべてのものは引き受けられないが、来た球はとりあえず打つという考え方に立っている。来た球は多少ボール球でも苦手な球でも打つ。それでうまくなる。

自分ができることしかしないと決めると、仕事の幅が広がらない。ただし、そんな私でも例外はある。それはクイズ番組出演のオファーだ。私にとって、テレビのクイズ番組はオファーもたくさんあるが、出演するかどうか、 正直迷うことが多い。
タレントや芸人には、クイズが得意な人もいる。クイズ王と呼ばれる一般人もいる。しかし、私の得意なところはクイズではない。
さらに、たまたま出演したクイズ番組で間違えたりすると、「大学教授がなんで?」 と言われる。それでも考えること自体が面白いクイズとか、正解不正解をそれほど問題にしない番組なら出演したりする。

ある番組にレギュラー出演しているとき、途中からクイズ番組的な性格に変わっていったことがあった。だからといって「じゃあ出ません」とは言っていられない。趣味ではなく仕事だから、そのあたりはうまく折り合いをつけていかなければならない。簡単に「無理」とか「できない」と言わない。

「これできる?」と上司に訊かれ、「無理」とハッキリ言ってしまう若い人がいる。「無理」という言葉が流行の一つになっているのだろうか。とりあえず率先してやるクセをつけると、それは人間的にも大きな武器の一つになることは間違いない。

「来た球を打つ」。これを基本にしていると、仕事のオファーは増えていく。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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40歳を過ぎて最高の成果を出せる「疲れない体」と「折れない心」のつくり方

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葛西紀明

スキージャンプ競技は、「体重を1キロ落とせば、
2メートル飛距離が伸びる」といわれるほど、
体重コントロールが重要な競技。

〇「正しい努力」とは何なのか?
1.自分の努力は「目的に見合っている」か
2.自分の努力は「年齢に見合っている」か

「疲れない体」をつくる最大のポイントは、ズバリ「代謝を上げること」

背筋が伸びた「正しい姿勢」であれば、バランスよく均等に筋肉を
使っているため、体への負担が少なくなります

体幹を鍛えることで、「体の軸」が安定するため、自然と姿勢もよくなる

スラックラインとは「綱渡り」のことです。私がやっているのは、
5センチ幅のラインの上を、バランスをとりながら歩くトレーニン
グです。体の軸となる体幹がしっかりしていないと、上手に歩くこ
とができません

「疲れた」が口ぐせのようになっている人、なにかとすぐに疲れや
すい人はランニングをまったくしていない人が多い

時間がなくて短時間で汗をかきたい人には、サウナスーツを着なが
らのランニングはおすすめ

体の柔軟性の中でも、みなさんとくに気をつけてほしいのが「下半
身の柔軟性」です。とりわけ重要な筋肉は次の3つです。
1.ハムストリング(大腿二頭筋、半腱様筋、半膜様筋/太ももの後面)
2.大腿四頭筋(太ももの前面)
3.内転筋

小さな段差でもつまずいてしまったり、足がもつれたりするのは、
自分が思っている以上に「足が上がっていない」からです。それは
まさに、「3つの筋肉」が固まっている証拠なのです

コーヒーを飲んでもどうしても空腹がおさまらないとき、私はチョ
コレートを食べるようにしています

「ワクワク感」を呼び起こすために、私がまずやっているのが「原
風景を思い出す」ことです
「好き」「楽しい」というワクワクした気持ちが薄らいできたとき、
私ははじめてジャンプを跳んだときの気持ちを
思い出すようにしています。
はじめて跳んだのは
子ども用につくられた5メートルのジャンプ台でした。着地方法す
ら知らないままに跳んだはじめてのジャンプでしたが、「気持ちい
いし、楽しい!」と私はこの競技にすっかり魅了されてしまいまし
た。
一瞬の出来事でしたが、私は「もっと高く、もっと遠くへ跳び
たい」と思ったのです

「いまのやり方」に固執せず、「新しい方法」を学ぶことで、仕事
の楽しさが甦ってくる

エンジエオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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『倫理的になるな!目的なき人生を生きる』

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山内志朗

ビジネスパーソンは、何の疑いもなく、「目標達成」することを人生第一の優先順位に持ってきがちですが、それだけでは、人生は空虚になってしまう。

人生に目的があったら、生きる必要などない。目的は過程を吸収し、無にしてしまう。目的合理性に染まった頭は「なぜ」という目的を合理化する指標によってしか、やる気を持って動くことができなくなってしまう
これこそが、ビジネスパーソンが人生の後半で虚しさを感じてしまう原因であります。

善と悪の二元論に立つこと自体が、世界を分かりやすくすると同時に、倫理的な倒錯にも落ち込ませる。
選択肢が二つある場合、どちらか一つは正解だと考えるのは、選択式テストを受けて、頭まで似たような構造になった者の発想だ。必ず正しい答えがあるはずだというのは、世界に対して倫理学的に命令を下すことだ。

答えがあるはずだという発想そのものが危険性を持っている
それは敵を倒すための理屈であって、勝ちそうな者、勝った者の論理なのだ。

強者の論理を正しいと思う倫理学は世界から戦いをなくすことはできはしない
自然の「荒び」を消滅させようとすることで、人間の福祉を向上させようとする発想は、人間から総ての悪を消滅させようとすることで、かえって大きな悪を引き起こしてしまう

人間の攻撃性と暴力性に対して、見てみないふりをして、善意や隣人愛だけ語っていても、それは善意や悪意を搾取・濫用・収奪することで、自己の利益を増やし、自分だけ肥え太ろうとする人間本性を放し飼いにすることになる。

「悪」もまた贈り物であり、その制御を目指すことこそ、求められる道なのだ
意味のなさもまた「器」としてあることだとすれば、意味のなさこそ、意味を盛り込める条件となる

人生の夢が、計算可能なものではなくて、人生にとっての「偶有性」だとしたらどうなのだろう。偶有性とは何か、それは「花」に当たる。植物は花を咲かせるために生きているのではない。花を咲かせることを通じて、生命を繋ぐ。人間にとっても、職業や仕事は「花」だ

偶有性を積極的に取り込み、意義を与える必要がある。知性による予測可能性を超えるのが出会いである

一つしか目的がなければ、多くの個体をこの世に増殖させる必要はない
「幸せ」とは道路標識のようなものでしかない

自分自身と仲直りをするために、人は旅に出る。そういう旅に目的地は要らない。自分が目的地だから

意味がないのは、人生の大前提なのである。意味のなさとは、とても大事なものを守り育てるための容器のありかたなのだ
目標は失われても、人生は残り続ける

「目的のなさ」とは、欠如や空虚ということよりも、むしろ自由な空間ということであり、器の大きさでもある
目的や夢のないことをもっと受け入れられれば、人はラクに生きられるし、偶然がもたらす人生の豊かさを享受することができる。
「思い通りにいかない」ことで悩むのではなく、それを積極的に味わう。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より

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