『成功は“ランダム”にやってくる!』

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フランス・ヨハンソン

一万時間の法則は、成功の秘訣をわかりやすく説明する手段として活用されてきた。どんな分野であれ、一番になるために必死に努力すれば、成功する。数多くの調査が行われ、この考え方を支持しているにもかかわらず、依然としてこの法則では説明が不十分のようだ。
このアプローチの仕方は、テニス、チェス、バイオリン、バスケットボールなどの特定の分野にしか通用しない。それ以外の分野では、法則が破綻してしまうからだ。

ある分野や産業において、練習や訓練をほとんどせずにリーダーになった人は数えきれないほどたくさんいる。
リチャード・ブランソンは、航空会社を経営した経験がゼロだったにもかかわらず、思いつきでヴァージン・アトランティック航空を立ち上げた。一万時間の訓練は必要なかった。
スカイプの創設者であるニコラス・センストロムとヤヌス・フリスは通信業界での経験は多少あったものの、エキスパートというレベルではなかった。一万時間にはほど遠い。
任天堂の役員である宮本茂は、有名なゲーム・デザイナー兼プロデューサーで、「ゼルダの伝説」、「マリオブラザーズ」など、数々のメガヒットを生み出した人物だ。やはり彼にも一万時間の法則は当てはまらない。
テニスのセリーナ・ウイリアムズにとっての成功は予測可能なものである。

しかし、起業家、弁護士、科学者、アーティストはそれではすまない。
私たちの市場は圧力を受けて常に変化し、適応し続ける世界で戦わざるを得ない。
一方の世界ではルールは何十年も何百年も変わらず、もう一方の世界ではルールは常に変化しているのだ。
さまざまな分野における成功への道のりにおいて、ランダム性、偶然、運が入り込む余地がどれだけあるのかは、この違いを認識しなければ絶対に理解できない。社会的規範がゆるい分野ほど、ランダムに成功する割合が高くなる。状況が変化し、発展しつづけるために確固たるルールが定まらない世界で成功するには、どんな手段をとればいいのだろうか?

三つの教訓がある。
一つめの教訓は、世界は予測不可能であり、すごい速さで変化しているということ。テニスやチェスのようにゲームのルールが固定されていない限り、このような速い変化をうけて成功はランダムになる。誰かが成功したときの方程式を教えてもらうことは一見ありがたく思えるが、そのような方程式が存在すること自体が、方程式の効果をなくしていまう。大切なのは、誰かの具体的な戦術ではない。具体的な戦術は、予期せぬ出会い、驚くべき契約、偶然のひらめき、幸運なめぐり合わせなどから生まれる。
二つめの教訓は、私たちはランダム性を積極的に人生に取り入れようとはしないということ。私たちが作り出した社会では、計画や予測可能性はすばらしいと教えられる。次第に世界はそれを許さなくなっており、次第に成功は予測不可能になってきている。私たちはランダム性を嫌う。しかし、成功するためにはランダム性が必要である。もっとも大切なのは、情熱をモチベーションにすることだ。情熱があれば私たちは前進し、賭けを続け、失敗した直後でもほかの手段を探すことができる。
三つめの教訓は、すべての複雑エネルギーをコントロールすることはできないが、物事がうまくいき始めているとき、自分に有利になりそうな出来事が起きているとき、それに気づくことはできるということだ。そうなったときは、倍賭けするべきである。こういう瞬間はめずらしく、毎日起きることはない。私たちは複雑エネルギーをコントロールしたいという強い欲求を持っているが、それはとてもむずかしい。プロジェクトのどれかがそれに引っ掛かったことを確認してから、成功を目指すほうがいい。

世界は決して予測通りには動かない。今日ほどこの言葉が的を射ているときはない。だが、逆に言えば、誰もが予期せぬ方法で世界を変えるチャンスを持っているということだ。チャンスは一瞬に駆け抜ける。思いもよらないときに現れる。そして、私たちの人生におけるさまざまな道が、驚くような方法でつながるその一瞬に、現れるのだ。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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『望みはかなう きっとよくなる』

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元筑波大学名誉教授、村上和雄

最近、日本民族の特徴がDNAレベルで解明されつつあります。
それによると、日本民族はハイブリッド(雑種)な民族です。北方系と南方系のいわゆる混血なのですが、しかもその混血ぶりが著しく、DNAのバリエーションがきわめて豊富なのです。決して単一民族ではありません。

その理由のひとつは、先住民族と新参民族の間で殺し合いが起こらなかったことです。一般的には征服民族が被征服民族を殺すことは珍しいことではなく、それによって混血の程度は薄くなるのですが、日本列島では民族の殺し合いというものはあまりみられなかった。そのために、混血が進んだとも思われます。
多種多様な民族が、四季に恵まれた環境の中で、共存共栄しながら生きてきたのです。「和をもって貴しとなす」精神文化も、このような背景のもとに培われたのかもしれません。

現在、多様性の重要さが言われていますが、日本人はもともと多様であることをよしとして生きてきた民族だったと思います。日本人はあいまいだと非難されることがありますが、そのあいまいさこそが多様性を生んでいるという側面もあります。
日本人は善か悪か、正か邪かという二元論でものごとを割り切ってこなかった民族です。白か、黒かだけでなく、グレーの大切さも認めてきたのです。ハイブリットなDNAを反映しているからかどうかは分かりませんが、私たちが使っている日本語もきわめてバリエーションに富んだものです。漢字、ひらがな、カタカナと書き文字だけで3種類も保持しています。人を呼ぶ人称も、数を数える数詞も、相手によって使い分ける敬語も、日本語特有のものがあります。

そもそも言葉に魂が宿るという「言霊信仰」も、日本人に特有なものだと思います。こうしたことは、おそらく日本人を深い部分で規定しているはずです。
宗教にも、感性的な宗教と理性的な宗教があります。神道も、日本流にアレンジされた仏教も、感性的な宗教だといえるでしょう。すべてのものに命の宿りを感じるのが感性的な宗教です。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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『人は一生に四回生まれ変わる』

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森毅 

よく計画をたてて、その通りにやろうとする人がいる。
僕はちゃんとなんてできないに決まっているから最初から計画はたてない。

対談なんかでテーマが決まっていても、前もって考えることはあまりしない。その場でほかの人の意見を聞いて、それに対する意見を述べる。
考えなんてしゃべっているうちに出てくるものだ。普通は人生のコースでも目標を決めてそれに邁進しようとする。

夢を持つのはいいが、たとえば何歳で課長になり何歳で部長になり、定年になってから趣味をやるなんて決める。あるいは何歳で結婚して何歳で子どもを持ち、何歳で家を買うと計画をたてる。計画通りいけばいいが、計画通りにいくことなんてほとんどない。あるいは途中で必ず迷いが生じる。それであせったり絶望したりする。

だからその場その場で新しいことを考え、可能性をどんどん増やしたほうが、人生そのものが活性化する。それに楽だ。ついでに僕はダメモト主義だ。
僕はわりと不器用でドジだから、自分のドジをあらかじめ組み込んで、ドジったときの防衛をする。
どうするかというと、できるだけ他人から期待される場所には出ないことにしている。講演なんかでも得意な分野の話はなるべくしない。期待されている分、ドジって期待を裏切ると悪いからだ。
苦手な分野だったら、期待されていないから、ダメでもともと、うまくいくとほめられる。
しかし、それにはある程度の下調べをする。だから僕の関心も広がっていく。
これが僕の生き方だ。しかし、みんなが僕と同じ生き方をしたら気色悪い。たぶんすぐに別の生き方に変えるね。

エンジンオイル、OEMの仲間の勉強塾より

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