人望が集まる人の考え方

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レス・ギブリン

人間関係では、相手の自尊心を傷つけることはご法度だ。
相手の人間としての尊厳を踏みにじったら、
いずれ嫌な目にあわされる。

人々は自尊心について、とてもデリケートで、
自尊心を傷つけられると非常手段に訴えるおそれがある。

すべての人は自分の自尊心を大切にしてほしいと願い、
それを傷つける人を敵とみなす。
だから、他人を機械やロボットのように扱ってはいけない。
そんなことをすると、相手はそっぽを向いてしまう。

実業家のヘンリー・カイザーは
「すべての人を大切に扱えば、
必ず良い人間関係を築くことができる」と言っている。
これは当たり前だが、非常に含蓄のある言葉だ。

1.すべての人は程度の差こそあれ自分本位である。
2.すべての人は自分に最も強い関心を抱いている。
3.すべての人は自分が重要だと感じたがっている。
4.すべての人は他人に認められたいと思っている。

すべての人は自分の自尊心を満たしたいと強く思っている。
その願望が満たされて初めて、
人々は自分のことを「忘れ」、
他人に意識を向けることができる。

また、自分が好きになって初めて、
人々は他人に対して友好的になることができる。

第一次世界大戦中に兵士が
「おい、そこのお前、マッチを消せ」と
怒鳴りつけたところ、
相手は名将パーシング将軍だった。

兵士がしどろもどろになって謝罪しようとすると、
将軍は彼の肩を軽くたたきながら
「若者よ、些細なことを気にする必要はない」と言った。
名将ともなると、一兵卒の不用意な発言ぐらいでは
自信は揺るがない。

しかし、自尊心が低いと摩擦やトラブルが頻発する。
自尊心がさらに低くなると、些細なことでも動揺しやすい。

自分が話している最中に居眠りをしたという理由で
相手の女性を絞め殺した男性がその典型だ。

もし彼の自尊心が満たされていれば、
相手の侮辱的な行為は
さほど大きな意味を持たなかっただろう。

他人をこき下ろす傲慢な人も、
低い自尊心のために苦しんでいる。
こういう人の行動を理解するには、
2つのことを知っておく必要がある。

1つは、自分の重要感を高めようとして
他人をこき下ろしていること。
もう1つは、誰かに少し批判されただけで、
低い自尊心が崩壊するのを恐れていること。

こういう人はいつも心の中でびくびくしながら
他人と接している。
自尊心を傷つけられるという不安に耐えられないので、
他人にやられる前に相手を攻撃することもある。

気難しい人に対処する効果的な方法は、
たった1つしかない。
その人が自分自身をより好きになるのを手伝うことだ。

傷ついた自尊心を癒すのを手伝えば、
相手はおとなしくなって突っかかってこなくなる。

心のこもったほめ言葉をかけて相手の自尊心を満たせば、
気難しい人に対して大きな効果を発揮する
(もちろん普通の人に対しても効果がある)。

エンジンオイルのOEMも同じだ、仲間のプライドを大切にしながら
おこなうこと。

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人生の教養が身につく名言集

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ライフネット生命会長、出口治明

〇《適切なときに適切な場所にいるいる人》
この世界は偶然の産物です。

そして、私たち一人ひとりの人生も、
いろいろな偶然の積み重ねによってつくられている。

歴史を知れば知るほど、
偶然こそが「この世のリアル」だと確信します。

私たち人類・ホモサピエンスがこれまで生き残れたのも、
偶然だったという説があります。

『そして最後にヒトが残った』
(クライブ・フィンレイソン)という本によると、
ネアンデルタール人が滅び、ホモサピエンスが生き残った
理由は、「適応力」と「運」の違いにあったようです。

筋骨隆々で、森林での大型動物狩猟向きの体型をしていた
ネアンデルタール人は、当時、
地球環境の寒冷乾燥化が進み、森林が縮小し、
平原が広がりはじめる中で
徐々に生きる場を失っていきます。

一方、しなやかで持久力に富む体を持つホモサピエンスは、
平原での狩りにも対応でき、
生き残ることができた。

つまり、たまたま平原が広がりはじめる時期に、
たまたま平原に適応できる体を
ホモサピエンスは持っていた。

だから生き残れた。
まさにホモサピエンスは運が良かったのです。

逆に、ネアンデルタール人が絶滅してしまったのは、
たまたま運が悪かっただけとも言えるのです。

「運がいい」というのは、フィンレイソンが
指摘しているように、
「適切なときに適切な場所にいる」ことなのです。

この世は偶然の産物だということに、
あらためて気づかされます。

〇ウイーン生まれのユダヤ系の宗教学者に、
マルティン・ブーバーという人がいます。

ブーバーが、代表作『我と汝・対話』で書いているのが、
「すべての真の生とは出会いである」という言葉です。

つまり、私たちの人生は、つまるところ、
すべて出合いである、と。
そうした出合いを通して、
人生はどんどん変化していく、と。

関係性を重視したブーバーならではの言葉です。

私たちの人生は、ブーバーの言うように、
そのときどきの出合いによって変化し続けていきます。

いわば川の流れに身を任せる生き方が一番いいと
私は思っています。

変化を受け入れ、川の流れのままに流されて生きていく。
なぜなら、人間の力では、そのときどきの流れを
変えることは難しいからです。

そのことを私は、
しばしば凧揚(たこあ)げにたとえています。

「風が吹いていないときは、凧は揚がらない」

凧揚げしようとしても、その場所に風が吹いていなければ、
どんなに必死になって走っても、
あるいは、ものすごくよくできた高性能の凧であっても、
揚がってはくれません。

一方、その場所にいい風が吹いていれば、
こちらがそれほどがんばらなくても、
凧はスイスイ飛んでくれます。

人生もこれと同じです。

風が吹いていないときは、何をやってもダメだし、
逆に、風が吹きはじめたら、
何をやってもたいていうまくいく。

だから、今は風が吹いていない時期だと思ったら、
ジタバタとムダな抵抗はしないで、淡々と過ごしていく。

ただし、いつ風が吹くかは誰にも分からないので、
風がいつ吹いても全力で走れるよう
平素から準備をしておくことが大切です。

場合によっては、風がそのままずっと
長い間吹かないこともあります。

ネアンデルタール人がが絶滅してしまったように、
人生にはそういう残酷な一面もあるのです。

とはいっても、「まったく人生に希望が持てない」などと
暗澹たる気持ちにはならないでください。

風が吹いていなくても、
その中で人生を楽しめばいいのです。

時間はたっぷりあるので、いろいろなことができます。

逆に風が吹きはじめたら、やることがたくさん出てきて
そんな暇もなくなりますから。

《「偶然」を大切にする人を運がいいと呼ぶ》

エンジンオイルのOEMもチャンスを待つ余裕をもってやらねば、
長続きしません。
時流に乗れない時期は、活動しても徒労に終わるだけです。
力を鍛えておく、準備期間も必要です。

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