貧乏になってしまう人の精神的な問題

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佐藤しょ~おん

手放せない人たち

そこそこ生活に困らないようになって、 
かつてのビンボー時代を振り返ってみたら、 
あの頃ってホントにモノに執着していたなと痛感しました。 
ビンボーって、執着するところから始まるんですよ。

執着の反対語は、「手放す」です。 
これが出来ない人がビンボーであり、
ビンボーになる人なんです。

ここでいう手放すとは、
物理的にも精神的にもということですよ。

分かりやすいのは物理面でして、 
ビンボーな人ほどモノを捨てられない、取っておきたがる、
溜め込むんですね。 
そんなモノ持ってても、もう使わないよねと言っても、

■ いつか必要になるかも知れない 
って考えるんですね。 
それはいつなんだ?
必要になったらまた買ったら良いじゃないか、というと、

■ 捨てなければ買わずに済むじゃないか 
って言うんですね。 
そうやって家には使わないガラクタが溜まっていくわけです。 
ですからゴミ屋敷に暮らす人で、
経済的に裕福な人はいないんですね。 
逆に言えば、おカネ持ちの家って、
モノに溢れていないんです。

精神的に手放せないというのは、
切り捨てられないということです。

選択の岐路に立った時に、右に行こうが左に進もうが、 
どちらを選んでも何かを手放さなきゃならないという状況で、 
スパッと道を選べないんです。 
両方の道を選ぶことは出来ないんだから、 
つまりそれはどっちかを諦める、 
捨てることを選ばなきゃならないということなのに、 
手放せない人って、ここで決断が出来ないんです。

人生で決断しないまま、 
つまり判断を留保させたまま
状況を放置することになるんです。 
ところが人生には時間という要素があるわけで、 
これが進むと自分が選んでいなくても、
状況は変化するわけですね。 
それはつまり、選ばないことによって 
自動的に締め切りになってしまうということです。 
本人は選んでいないにも拘わらず、 
時間が強制的に
ひとつの選択肢をピックアップするという事態が起こります。 
こうなるとほとんどの場合、 
実は最悪手を選んでいたということになるのが、
人生の厳しいところなんです。

会社でのリストラなんてまさにそれで、 
誰しもクビ斬りなんてやりたくないんですよ。 
でもこれをやらないと会社が潰れてしまうという
状況にあるわけで、 
つまりこれは、 
「少数の誰かを選んで首斬りをして生き残る」
という選択肢を取るか、 
「誰のクビも斬らずに全員が死ぬか」
という選択肢を取るか 、という話なんです。

そしてこのような厳しい状況で選択をしないということは、 
結果として 誰のクビも斬らずに全員が死ぬという 
選択をしたことと同じになるんです。 
無為無策の時間伸ばしというのは、
最悪の選択肢を取ってしまうことと、 
ほとんどの場合は同じなんですよね。
これが人生の厳しさです。

そして手放せない人というのは、
両方の良いところだけを欲しがる 
(つまりこの場合は、
「リストラをしないで会社が生き残る方法はないか?」と 
考えるわけです)んですけど、 
この手の人がこの状況で
起死回生の手を指すことなんてないんですよ。

こういうタイプの人たちには、人生のあらゆる場面で、 
何かを手放す、身軽になるという道を
選ぶことを勧めています。

何かを持っているということは、 
それは荷物を持っていることと同じなんです。 
いくらその荷物がどこかの場面で
役に立つかも知れないとしても、 
その場面が来るまではタダの重たい荷物ですから。 
そんなモノを持ち続けるのは止めて、 
手ぶらで動き回ってみることを体験すべきなんですよ。

それをやると二つのことが分かるはずです。 
ひとつは、手ぶらで動いても不便はそれほどないし、 
むしろ身軽な方が動きやすいと気付くこと。 
もうひとつは、この世で、
捨てずに済んで重さも不自由さも感じない荷物は、 
知識と体験だけなのだと気付くことなんです。

だからおカネ持ちの人は、 
モノよりも知識とか体験におカネを使うんですよ。

エンジンオイルのOEMも身軽になってやらないけまへんな。
まずは、整理整頓。不要なモノを手放す。

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