仕事を好きになれるのは、努力を娯楽化できているから/オイル買います売ります

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趣味と仕事の違いは、自分の為にやるか、他人の為にやるかの違い。他人の為にならないと、仕事にはならない。競争がある中で、人に必要とされなくては商売にならない。

人に必要とされるほど、良い商売ができるのは、上手だから。上手になる為には、継続的な努力が必要。それができるのは、好きだから。つまり、仕事にとって好きの本質は、努力の娯楽化である。原点にあるのは、そのこと自体が好きだということ。大事なのは、理屈抜きに好きな事。理屈があれば、良し悪しになる。

さらに、好き嫌いの対象は、実は表面的な職業や商材ではない。もう一段抽象度の高い、仕事を支える論理が対象である事に気付かねばならない。だから、その論理が当てはまる職業や商材を選ぶのが正しい。

自分の好きが全部満たされる事は、あり得ない。好きだといっても、現実は妥協に継ぐ妥協である。その時、背後にある論理を考えれば、自分の好きを満たして行くことはできる。

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好きから始める経営/オイル買います売ります

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良し悪しで始めると、論理が直観を妨げてしまう。重要な戦略的意思決定ほど、直観に依存するようになる。となると、好き嫌いを自分で追い詰めて行かないと直観力が出てこない。

好き嫌いにはインセンティブが要らない。社員のコストは、圧倒的に安くなる。インセンティブを与えるのなら、お金を始めとして様々な経営資源を使わなくてはならなくなる。これに対して、好きは内在的なもの。お金の多寡にかかわらず、本人が好きでドンドンやる。成果も出るし、コストも安い。

また、インセンティブは外的な報酬なので、慣れて麻痺してしまう。反対に、好きな事は、やればやるほど好きな事が色濃く分かってくる。時間軸で考えても、効果が違ってくる。

各々の社員の好きを支えるロジック、メカニズムを見てあげるのが経営者の大切な仕事だ。仕事の好き嫌いというのは、論理レベル、抽象レベルまで引き上げないと分からない。その意味でも、好きな事をさせてあげるのが経営だ。

所属部署という具体的な次元で、人の好き嫌いを分けてはいけない。もっと抽象度をあげて、考えてやるべきだ。

人が仕事をしていく事は、自分の好き嫌いの本質を、自分で探して行くこと。自分を発見する長い旅のようなものです。良し悪しで考え過ぎない。アウトサイドインになり過ぎない。ここに、注意しましょう。

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「選択と集中」は間違い/オイル買います売ります

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シャープが流行の「選択と集中」をやって破綻した。なんでも、流行の物に食いつくのは間違いである。

元祖GEが、これで成功したのは、複合化、多角化が進んでいて、極めて多くの事業を抱えていたからだ。一般の企業には当てはまらない。

外部環境は、目まぐるしく変わる。いったん「選択と集中」が成功しても、その後の環境変化で状況も変わる。絞り込んだ事業が苦境に陥る事もあり得る。

もともと「選択と集中」は振幅の大きい、ハイリスクハイリターンの戦略である。

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お金の貯まらない日本/オイル買います売ります

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若者は、将来の生活に不安を持っている。

北欧では、税金は高いが、それはいずれ戻ってくる。だから、納税者に痛税感は無い。日本は、そうはいかない。社会保障、特に年金は、信頼されていない。戻ってくる事は、まずない。当然、これでは消費は伸びない。

住宅も資産とは言えない。ローンを払い続けても、建物の価値は、15~20年でゼロだ。イギリスなど、築後100年でも価値がある。リノベーションを繰り返して、資産として有効活用される。

成長を追い求め、成果を積み上げてきた筈だつた。ところが資産は、何も残っていない。これほど、不安な社会はない。

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人間の品質管理/オイル買います売ります

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品質管理は、人間まで及んできた。当たりではなく、外れた人間を、いかに排除するか。学校の教育システムは、それが目的化している。

人間は、品質管理できるものではないし、してはならないものだ。当たり外れは別にして、人間は他と違う異質な個性を持っているのが普通である。

集団では、異質な者が入らない方が、働く気分は良い。しかし、異質な者を抱え込んでいるのが健全な社会だ。異質な者が、集団の緊張や活力を生む。

他国に無い異質なモノを皆が持っていたら、それが国の個性・文化となる。

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ファミレス(家族なし)社会/オイル買います売ります

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親が亡くなり、兄弟姉妹はいない。子供も孫もいない、ファミリーレスの人が溢れてくる。

健康寿命と平均寿命の差は10年ある。すると、人生最後の10年間は誰かの支えが必要だ。子供は、みんな介護責任者となる。日本は、介護責任者を親族に限っている。

スウェーデンの様に、家族の概念を広げねばならない。この国では、介護を受ける人が認めれば、友人でも隣人でも構わない。80%の所得補償が出る。まさに、遠くの親戚よりも、近くの他人である。

子育ても介護も、近代化の歪みを家族に押し付けてはいけない。

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