「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」歎異抄
悪人とは、如来の前で自己否定が出来る人。善人とは、自分を正当化し、自己否定できない人。
心を痛め、自分は地獄行きだ。そう思う悪人を、如来は助けるのだ。自分は悪人だという自覚を持っており、後悔が湧いてくる人。その人を助けるのが、浄土真宗の救済論。懺悔しないのは、野獣だと言われる。
罪悪を犯したら駄目と、一面的に見ないのですね。
「絶対矛盾的自己同一」西田幾多郎は、絶対的に矛盾するものが、人間の中に内在していると言っている。
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「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」歎異抄
悪人とは、如来の前で自己否定が出来る人。善人とは、自分を正当化し、自己否定できない人。
心を痛め、自分は地獄行きだ。そう思う悪人を、如来は助けるのだ。自分は悪人だという自覚を持っており、後悔が湧いてくる人。その人を助けるのが、浄土真宗の救済論。懺悔しないのは、野獣だと言われる。
罪悪を犯したら駄目と、一面的に見ないのですね。
「絶対矛盾的自己同一」西田幾多郎は、絶対的に矛盾するものが、人間の中に内在していると言っている。
現代の日本人は、人間関係に不安を感じている。家族に対する期待値や重要性は高まっているが、関わりは必要の範囲内に収めたいと考えている。温かみのある環境が剥奪されたと感じているが、一方ではシガラミから解放されたい。
日本では、地縁、血縁、会社縁といった関係性が崩壊した。その結果、人間関係自体が自ら選択するものになった。人間関係は、今まで既存の環境が構築・維持してくれていた。それを自力で作り上げ、存続させなければならなくなった。
人間関係を選択するという事は、相手も同じである。相手も、こちらを選ぶ権利を持っている。人々は、自分は選んでもらえるのかという不安を常に抱えている。相手を傷つけないように配慮してコミュニケーションする。そうして関係を築いていかねばならない、とても厄介な状況だ。