明治大学教授、齋藤孝

「読書時間ゼロ」の大学生が過半数を超えた。
理系の学生が本ではなく論文を読んでいて、
実験や計算に多くの時間を使っているというのなら
まだ理解できますが、
文系の学生も本を読まないというのですから驚きです。

私は大学の講義のほか、一般向けの講演も行っており、
幅広く質問を受ける機会があります。
そこで、本質的なものに触れる深い質問ができる人、
表面的な部分にとらわれた浅い質問しかできない人がいます。


浅い質問には、「それはこうです」と答えて、はいおしまい。
簡単です。
そこからさらに話が広がったり
内容が深まったりすることはありません。
深い質問の場合は、
こちらの頭も回転させなければなりません。
質問が刺激となって思考が深まります。
その答えによって質問者の考えも深まるし、
実りの多い時間となります。

映画を見た感想やニュースに対するコメントにしても、
聞く人が刺激される面白い話ができる人と、
みんなが言っているような
一般的なことしか言えない人がいる。

浅い人と深い人。
その浅い・深いはどこから来ているのでしょうか。
それは一言で言えば、教養です。
教養とは、雑学や豆知識のようなものではありません。
自分の中に取り込んで統合した、
血肉となるような幅広い知識です。
カギとなるのは、物事の「本質」を捉えて理解することです。
バラバラとした知識がたくさんあっても、
それを総合的に使いこなすことができないのでは意味がない。
単なる「物知り」は「深い人」ではないのです。


教養が人格や人生にまで生きている人が「深い人」です。
深い人になるには、読書ほど適したものはありません。
本を読むことで知識を深め、思考を深め、
人格を深めることができます。


たとえば西郷隆盛は「深い人」です。
西郷が生きた幕末・明治時代から人格者として慕われ、
ものすごく人望がありました。
亡くなってからも多くの人が西郷に惹かれて研究し、
時代ごとに評価されてきました。
現代も人気は衰えていません。
それでは、彼は生まれた時から人格者で、
「深い人」だったのかというと、
そういう訳ではないでしょう。
西郷は多くの本を読んでいました。
とくに影響を受けたのは
儒学者佐藤一斎の『言志四録』です。
流された島でも、これを熟読し、
とくに心に残った101の言葉を抜き出し、
常に読み返していたそうです。
座右の銘としていた「敬天愛人」も
そこから生まれたものです。
常に本を読み、自らを培っていったのです。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より