藤原辰史

給食は社会正義に支えられ、各国で普及した。

貧しい家庭の子供にも、

彼らのプライドを傷つけることなく、

食事を与えようとして。

そんな給食は社会主義に通じると、

嫌った政治家もいた。

新自由主義の時代には、逆風も被った。

20世紀後半に、アメリカの農業は

日本の給食を市場として捉えだす。

日本では、その圧力も受けて、

小麦による食事が広がった。

米食を否定的にあげつらう議論も浮上した。

現皇后のご成婚を、アメリカの小麦生産者たちは

もてはやした。

「粉屋(日清製粉)の娘」が選ばれたと。

親しみをこめて。

しかし、アメリカの小麦は、

それほど給食に活かされていない。

それよりも、戦後の日本における

ラーメンの圧倒的な普及を後押しした

政治の思惑とはかけはれ、

意外な波及効果を及ぼした。

時代が変わり、日本も食糧危機を克服した。

余剰米を抱えるようになり、その処分に困る事になる。

給食は米食に替えろと、

農林族の議員たちは言い出す。

しかし、給食に関してはパン業界が

長年にわたる功績と既得権益を持っている。

1970年代には、米かパンかという

政治闘争も繰り広げられた。

その結果、いくらか米食も導入されるが

その政治決着、両者の妥協には苦笑せざるを得ない。

政治決着=国民を無視した利害関係の調整でんな。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より