精神科医、斎藤茂太

誰にでも嫌いな人はいる。

私にも「いっしょにいると不愉快だ」と思う人はいる。

しかし、そういう人でもうまく利用することはできる。

私は、嫌な人物に出会うと「他山の石」と

思うことにしている。

「他山の石」とは、どんなものでも

自分を磨く助けになるという意味だ。

他の山でとれた粗悪な石でも、

自分が玉(宝石)を磨くときの砥石に使える、

ということである。

自分のやっていることには、なかなか気がつかないものだ。

だが、相手の言動で不愉快な思いをすると

「自分も気をつけよう」と思う。

「あれはやっちゃいけない」「ああならいほうがいい」と

気がつく。

これはありがたい。

この、嫌な人のおかげで、またひとつ、

やってはいけないことがわかった。

そう思うと、少しは口惜しさが晴れる。

また、その場では負けたような気がして嫌な気分でも、

内心、「なんとかあいつをやっつけてやろう」

「追い越してやろう」と

自分が努力するエネルギーの源泉になる。

まわりがあまりにいい人ばかりでは、幸せかもしれないが、

満足してしまい、それ以上に発奮しない、

ということにもなり得る。

しかし、ありがたいことに、世の中は嫌な人間にことかかない。

だから、しょっちゅう発奮することができる。

あなたの周囲にも、きっと「感じの悪い人」がいるだろう。

その人は、実は、神様がおつかわしになった悪い見本例である。

毛嫌いせずに「いい人間関係をつくるのに役立った。

ありがたや、ありがたや」とつぶやいてみるといいのである。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より