人間が死にもの狂いになったとき、常識を超えたすさまじい力を発揮できる。
極限の状態における人間の力は想像以上に強烈だ。
こんな力が、日常生活や仕事の上で、ここ一番というときに発揮できれば、
人生はすばらしい。

「人間は本来そういう力を持っている。
それに気づかないでいるだけだ」

「大死底人(だいしていのひと)」
「心身ともにこだわりを超越でき、煩悩、妄想、欲を払い尽くした人(大死底人)が
新しい生を得るにはどうしたらいいのかね」
「夜歩きせず、明るい朝を待ってから行けば、どこにでもたどりつける。
大死に徹することができれば、新しいエネルギーが必ず満ちてくるものだ。
死ぬ気になれば死にはせぬ」

お釈迦さまでさえ、四苦八苦で悩まれた。
「大死」に瀕することは、人生最大のチャンスである場合も多い。
もちろん、そのまま、暗黒を見たまま、死んでしまう人もいる。
これをチャンスだと思うか、不幸と思うかだ。

大死に瀕したとき、徹底的に死んだ気になれるかどうかにかかっている。
「もう一度自分の人生を考え直さなければいけない。
自分にとって本当に大切なものは何か。自分は今、何をすべきか、
そして何ができるか」

自分で理想を掲げ、目的を持ち、計画を立てて、
自分自身が仕事を通して成長するような生き方をしていたのだろうか?
人に喜ばれるように、世の中の役に立っていただろうか?
ところがアメリカン・グローバリゼーションがはびこり、
成果主義がはびこり大手を振り、
人間性だとか、個性が軽視され、
すべてに「結果」だけが求められる現在になってしまった。

「どこまでも人間をつくれ。それから後が仕事だよ」。

「人生にはね。自分が知っている以上の大きな消息や事実があるのだよ。
自分が何のために生きているのか。何が幸せで、何が不幸せか。
そこのところを、落ち着いてよく考えてみることだ」。
「消息」とは、事情、様子という意味である。

人が生きていたり(息)、死んだり(消)することでもある。
つまり世の中には、あらゆるものが生きたり死んでいったりする
大きなうねりのようなものがあって、
すべてがその波の中で営まれている。

「大死一番(だいしいちばん)」
「絶後再蘇(ぜつご再びよみがえる)」。
死んだ気になって全力でやってみること、死にもの狂いで何かをする。
そうすれば、本来の自分を見つけることができ、再びよみがえる。
まさに、「大死底人」だ。死んだ気になるとは、覚悟を決めることだ。
覚悟を決め、肚を決めれば、勇気がわいてくる。

エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より