渡辺和子

在学中、健康な人がいました。
それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだ。
やがて快方に向かった折に、一通の手紙をくれました。
「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。
今の私には、当たり前が輝いて見えます。」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、
病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、
この言葉を書かせたことを、たいへん嬉しく思いました。
「当たり前が輝いてみえる」。
そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。
幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違う。
ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、
心が満たされている状態と言える。
ですから、幸せを願う人たちは、愛せる人を探し、やりがいのある仕事を求め、
そして、素敵なもの、素晴らしいもので、自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおっており、
それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、
過激な刺激と情報に溢れている。

お金さえ出せば、欲しいものがほとんどすべて手に入る世の中です。
でも、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、
必ずしもそうではありません。

■星の王子さま
「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、
今ではもう、何をさがしているのか、分からなくなっている。
だから皆はそわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」
「おなじ一つの庭で、バラの花を五千も作っているけど、…
自分たちが何がほしいのか、分からずにいるんだ」。
「だけど、さがしているものは、
たった一つのバラの花のなかにだって、すこしの水にだって、あるんだがなあ…」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

■『万葉集』
信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ。
うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、
“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”と唄った一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、
それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちです。
この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、
愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。
《ものごとがうまくいくから、微笑むのではなくて、微笑むから、ものごとがうまくいく。》
《幸も不幸もない。 要は心の持ち方一つ。》

ほんとうは、幸せというモノも、不幸せというモノもない。
あるのは、そのモノ、事実を見て、幸せと思えるか、不幸せと感じるかの違いだけ。
見方や考え方がその人の人生を決める。
「かんじんなことは、目に見えないんだよ」ほんとうの幸せは日常の中にある。

    エンジンオイル、メーカー、OEM仲間の経営塾より