ユヴァル・ノア・ハラリ
『ホモ・デウス』とは、
神(=デウス)を目指す人類という意味で、
不死と幸福、神性の獲得を目標とする
上巻では、人類が<不死と幸福と神性を標的とする>未来を
紹介していましたが、
著者はこの下巻で、「不死」「幸福」「神性」を目指す人間に
訪れるであろう、衝撃のパラドックスを予言しています。
人生の意味とは何なのか?
何か外部の存在に既成の意味を提供してもらうことを
期待するべきではないと自由主義は主張する。
個々の有権者や消費者や視聴者が自分の自由意志を使って、
自分の人生ばかりではなく
この世界全体の意味を生み出すべきなのだ。
ところが生命科学は自由主義を切り崩し、
自由な個人というのは生化学的アルゴリズムの集合によって
でっち上げられた虚構の物語にすぎないと主張する
21世紀に考えられる、3つの実際的な進展
1人間は経済有用性と軍事的有用性を失い、
そのため、経済と政治の制度は
人間にあまり価値を付与しなくなる
2経済と政治の制度は、
集合的に見た場合の人間には依然として価値を見出すが、
無類の個人としての人間には価値を認めなくなる
3経済と政治の制度は、
一部の人間にはそれぞれ無類の個人として価値を見出すが、
彼らは人口の大半ではなく
アップグレードされた超人という
新たなエリート層を構成することになる
人間の法律は、企業や国家のような共同主観的なものを
すでに「法人」と認めている
私たちはほどなく、アルゴリズムにも
同じような地位を与えるかもしれない。
その時、主人である人間の思いどおりになる必要はなく、
自ら巨大な輸送事業や
ベンチャーキャピタルファンドを所有できる
人は何かする必要がある。
することがないと、頭がおかしくなる。
彼らは一日中、何をすればいいのか?
薬物とコンピューターゲームというのが
一つの答えかもしれない。
必要とされない人々は、
3Dのバーチャルリアリティの世界で
しだいに多くの時間を費やすようになるかもしれない
そのような展開は、
人間の人生と経験は神聖であるという自由主義の信念に
致命的な一撃を見舞うことになる。
夢の国で人工的な経験を貪って日々を送る無用の怠け者たちの、
どこがそれほど神聖だというのか?
ほとんどの人はアップグレードされず、
その結果、コンピューターアルゴリズムと
新しい超人たちの両方に支配される劣等カーストとなる
20世紀の医学は、病人を治すことを目指していた。
だが、21世紀の医学は、
健康な人をアップグレードすることに、
しだいに狙いを定めつつある
18世紀には、人間至上主義が
世界観を神中心から人間中心に変えることで、
神を主役から外した。
21世紀には、データ至上主義が
世界観を人間中心からデータ中心に変えることで、
人間を主役から外すかもしれない
YouTubeやSNSなどを通して、
人々はかつてないほど自尊心が肥大化する世の中を
生きていますが、
近い将来、一転して自己重要感を感じられない
世の中がやってくるのかもしれません。
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