大越俊夫

年をとると新陳代謝が衰えて、

イヤでも体に脂肪がついてくるが、

心のぜい肉にも同じことがいえる。

年齢やキャリアを重ねるにつれて、

お金の次は地位、さらには名誉などと

欲望をしだいに太らせていく人がいる。

大学の先生をしている知人が

彼の同僚を評してこんなことをいっていた。

「それまでは学問一筋の清廉な人物で、

尊敬の念を抱いていたんだが、

定年が近づくにしたがって、だんだん俗気が出てきた。

あるときぼくに、自分を名誉職に推す

推薦人になってくれないかという依頼をしてきた。

まあ、それぐらいならと名前を貸したら、

こんどは学内に銅像を建てたいなんて言い出したんだ…」

年齢が同僚氏を変えてしまったのか、

それとも秘めていた欲望が

年とともにあらわになってきたのか、

どっちなのかは分からないが、

かつての清廉な姿が俗臭にまみれるさまを見るのは、

それが人間の性とはいえ、悲しいと知人は嘆息していた。

ことほどさように人間の欲はほうっておくと肥大するものだ。

自分を大きく見せるのはたやすい行為である。

それが人間本然の欲望に沿ったものだからである。

反対に、「自分を小さくする」ことはきわめてむずかしい。

それが意志にもとづく行為だからである。

欲望と意志が戦えば、勝利するのはたいてい前者のほうだ。

人が生きる陣地は各々小さいものでいいと思う。

陣地は狭くても、取り柄は少なくても、

「これ」については誰よりも情熱がある、

誰よりもくわしい、誰よりも優れている。

そういうパーセー的(自分の本質を保って

余分な衣やぜい肉をまとわない。

ものを加えるのではなく、ものを削っていく発想をする。

自己肥大ではなく自己凝縮の方向へ努力をする。

上昇思考よりは下降思考を心がける。

存在意義を自分の外へ求めるのではなく、

自分のうちに求める)強みを

身に備えることのほうが大事である。

いたずらにサイズを大きくしようとするよりも、

サイズはそのままでいいから

中身の密度を濃くすることに力を注ぐ。

新しいことに手を広げるよりも、

いまやっていることをさらによりよくやることに努める。

そうして小さいが濃密な自分を原点とし、

迷ったらいつも本質(原寸)の自分に戻る。

そんな自己凝縮型の生き方が、

不安定かつ不透明ないまの時代には有効なのではないか。

《生きる陣地は、小さくていい。

自己を「広げる」生き方よりも、

自己を「縮める」生き方を心がける。》

■行徳哲男師

『カントは死ぬまで我が街から一歩も出でず。

キリストの布教はわずか5マイル四方。

しかし二人は人類を永遠に照らす深い真実を遺した。』

広さではなく、深さが真実や真理を伝える。

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