細谷雄一

戦後、日本の外交感覚、国際感覚は間違ったままだった。

戦前、日本の政治は無謀な戦争に突き進んだ。

そして、莫大な人的・物的な被害を伴う敗北に至った。

これは米英などが作り上げた国際秩序への日本の無理解、

そして、日本が独善的に秩序への挑戦を試みたことからくる

当然の結果だった。

戦後になっても、この無理解は続く。

新憲法制定における一部の法学者、

講和に至る過程における平和問題談話会は

不十分な国際感覚ゆえの独善を繰り返した。

逆に、元外交官の自由主義者として的確な

国際情勢認識を持った

幣原喜重郎、芦田均、吉田茂という

3人の首相が、憲法制定と講和に

中心的役割を果たしたことは、

当時の日本に何よりの幸運であった。

新憲法によって日本は民主主義体制となった。

占領期はまだ、国民の多数はこれら不十分な国際感覚を重視する

政治指導者に従った。

しかし、それが続かなくなる時代がやってきた。

僕らのゼミは平和問題談話会の丸山眞男の流れ。

そこで劣等生だった僕には、

国際感覚があったのだ。わっはっは。

ではなく、GHQの指示通りにやっていたのですね。

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