尾脇秀和

徳川政権は、豊臣政権の刀狩例による

武器所有の禁止政策を承継しなかった。

だから、17世紀初頭、百姓も町人も

刀や脇差を帯びていた。

帯刀は侍の真似、ファッションだった。

幕府は派手で長い刀や脇差の流行を

風紀の乱れと捉え規制を始める。

寛文8年(1668年)、幕府は、

江戸の町人が祭りなど特別な時以外に刀を差す事を禁じる。

さらに天和3年(1683年)には常時禁止となる。

ここで、刀は武士と町人を区別する身分標識となった。

しかし、脇差には依然として規制は無かった。

幕末には本来の目的で使われるようになり、

明治維新によって旧弊、武器と見なされると、

人々は脱刀していく。

江戸時代の民衆は、丸腰というのは虚像。

帯刀して歩く人が武士か百姓か分からないというのが

実態だった。

しかし、そこには武装しているという意識は無かった。

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