渡部昇一
《愚かな首尾一貫は小さな心が生み出すおばけで、
小心の政治家や哲学者や聖職者の崇拝するものだ。
首尾一貫など、偉大な魂にはまったくかかわりないのだ。》
わたしがこの言葉を最初に知ったのは、大学院1年のときでした。アメリカのボストン大学のパティスティーニという教授が
上智大学に研究にやって来て、わたしはちょっとした仕事を頼まれたのです。何かのときに、「これは矛盾していませんか」とわたしが尋ねると、
パティスティーニ教授は「『矛盾に従うのは小さな心である』と
エマソンがいっているぞ」といいました。
まさにこの部分を引用したのです。それを聞いて、「エマソンというのは、
こんな立派な先生が暗記するまで読まれるような本なのか」と思ったものです。ここでエマソンがいうのは、要するに
「おまえは昔、今とは違うことをいっていたじゃないか。
矛盾しているじゃないか」と指摘されたときの態度はどうあるべきか、
ということです。
おそらく多くの人は、自分の意見が一貫していないことに
居心地の悪さを感じて、弁解しなければならないような
気持ちになってしまうだろう、とエマソンはいいます。
ところが、それではいけないと彼はいうのです。
「われわれを自己信頼から遠ざけるもうひとつの恐怖の種子は、
矛盾すまいと心がけるわれわれの態度だ。
(他人を)失望させたくないために、
われわれの過去の言動をあがめるようとする態度だ」と。
帳尻合わせに汲々(きゅうきゅう)とするばかりでは
大きな事業はなし得ない、というわけです。
たとえば、日本の明治維新の中心人物たちの言行は、
伊藤博文以下すべて矛盾だらけでした。
何しろ尊皇攘夷を唱えてはじまった維新運動が、
政権を取ったらいきなり尊皇開国に変わっているのですから。
わたしの尊敬する徳富蘇峰(とくとみそほう)は、
若い頃は大ベストセラー作家で、民権論者でした。政府を常に批判する立場にあったのです。
ところが、彼はその後、政府の支持者に変わりました。
本人もそれをはっきり認めています。
「日清戦争の頃から自分はたまたま政府の首脳たちと
親しく付き合うようになった。
それで初めて、日本が世界に置かれた状況がよくわかるようになった」といって、
政府批判から一転するようにその変貌ぶりによって
蘇峰は「変節漢」と非難されるのですが、
彼は視野が広がっただけだといい、まったく揺るぎませんでした。
若い頃は政府を批判していたけれど、当時の日本の状況を理解すると、
絶対に政府を支持しなくてはいけないと、
現実を直視して自らの意見を変えたのです。
矛盾を恐れずに常に正しいことを求めた蘇峰は、真の革命家でした。
行徳哲男師は、こう語る。
『変化は加速する。
いまや十年一昔などあり得ない。
一年一昔、いや、一か月一昔、十日一昔と言ってもいい。
このような激変の時代に対応するには「今泣いた烏(からす)がもう笑う」
子どものようなしなやかさで臨まなくてはならない。禅的な境地が必要だ。
それが変化の加速を見事に捉(とら)え切る秘訣である』
まさに、朝礼暮改(ちょうれいぼかい)の精神だ。
変化の激しい現代こそ、この朝言ったことと、
夕方言うことが違うという、変化対応の行動が必要。
状況が変われば、言うことも変わるのは当然だ。
今こそ、「今泣いた烏がもう笑う」という、
盾を恐れない、子どものようなしなやかさが必要だ。
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